志乃ちゃんは自分の名前が言えない

ネタバレかくので注意です。

 

 

 

 

 

 

人前で喋ることができない志乃ちゃんと、音楽が好きなのに音痴のかよちゃん。他人事には思えない主人公だった。

私は、小学生の頃から要領が悪いというか人が当然のようにこなすことが簡単にはできなくて、動作もどこか変で、そんな自分をコンプレックスに思ってしまっている。

 特に就職活動が始まって、こうであれみたいなのをよく目にする。笑顔であれ、とかハキハキと喋れ、とか。それを見るたび私はこういう癖があるから直さなきゃとか、自分を恥じる。そんな自分にものすごく刺さる映画だった。

 冒頭で志乃ちゃんは喋れなかったことをばかにされてこっそり家で泣くけれど、かよちゃんの歌を笑って怒らせてしまった時は号泣して帰っていた。笑われることより人を笑ったほうが悲しい。笑われる自分より、笑ってしまった自分の方が恥ずかしい…と勝手に共感した。散々笑われて嫌な思いをしてる志乃ちゃんが音痴のかよちゃんを笑ってしまったところ、しんどかった。けれど志乃ちゃんのように笑わないかと言われたら多分私も笑うかもしれない。でも志乃ちゃんは自分の言葉を使って守ったり、謝ったりしていてかっこよかった。

 志乃ちゃんとかよちゃんの友情パートは目を細めるほど可愛いし、志乃ちゃんのまっすぐな歌声に聞き惚れてしまった。あの清掃員のおじさんと微かな見守り方が堪らない。ああいう風に人と関われる人間になりたいです。

 後半は、とにかく面倒見の良いかよちゃんとそれを寂しく思うけどうまく言語化できない志乃ちゃんがすれ違い続ける。きっかけとなる菊池くんも志乃ちゃんを笑ったりして許せないんだけど、憎めない。彼なりに一生懸命だし謝る素直さ、勇気がある。

 正直言うと少し、志乃ちゃんにイラついてしまった。志乃ちゃんは逃げている。そして周りに甘えている。でもそんな志乃ちゃんを真っ向から否定できるほどわたしは色んなことに立ち向かっていない。15歳の私が志乃ちゃんを否定できるかと言えば絶対に出来ない。高2の時に、部活の仲間に言われたことを引きずってイライラして帰りの電車の中で黙り込んでいたら当時仲良くしていた子に、私は関係ないんだからちゃんとしてよと怒られて泣いた過去がある。今にして思えば、自分の機嫌は自分で取れという話でもあるし、私が悪かった。けどあの時は、私の悲しくて悔しい気持ちを共感してくれないんだと家に帰ってから大泣きした。その時の気持ちをなんとなく思い出した。全然違うけれど。

 そしてこの物語で、彼女たちのことを笑う人間を憎く思ったけれど、実際わたしは彼女たちの頑張りを笑わない側の人間でいられるのだろうか。

 ラストシーン。かよちゃんは歌で、志乃ちゃんは喋りで、お互いがこれが自分なんだと叫んでいた。本当にかっこよかった。そして、菊池くんが1人で堂々と拍手する姿も。結局のところ、自分を1番バカにしているのは自分なのだ。「私が私を追いかけてくる」と志乃ちゃんは言った。

 結局あの3人は一緒に過ごすことはないのかもしれないけど、それはそうだろうなあと思う。2人が差し伸べた手を志乃ちゃんは結局払ったわけだから。だけど、きっと一緒に過ごした夏のことは絶対忘れないと思う。そして、周りと同じように歌える魔法も、喋れる魔法もいらないと歌ってくれた人間がいるということがどれだけ志乃ちゃんを救うのだろう。

 私も、私をバカにすることをやめたい。改善しようと努力するんじゃなくてこれも私なんだって、認めてあげたい。自分の言葉で感想を書こうとしたらこんなに纏りのない読みにくい文章になった。けどそれもこの映画を好きな気持ちが現れてると思う。また見る。